「モノの扱い方(体)」から「存在意識(心)」への連動
『所有』(体)から『分離意識』(心)への連動
『所有』とは、モノを「自分のモノ」として持つことです。
また、国有(領有)・私有も同様、『所有』とは、
本来分け隔てることのできないはずの土地や資源などを区画・分離し、
特定の人達を除いてその使用や口出しなどを認めないというモノです。
この『所有』が認められることで、
その所有物の管理の責任と権利の一切がその所有者に帰属するために、
他の人々は関与ができなくなります。
そうなると人々は、区画化、分離化された地域や土地のみの管理・把握に留まり、
誰もが今全体としてどうなっているのかが、把握できなくなります。
全体意識がはたらかなくなり狭い範囲の意識(認識)に繋がるという事なのです。
また、一定の人が『所有』を始めることによって、
その他の人たちも、
生きるために必要な土地や資源を奪われては生きていけないという
『不安意識』『不足意識』を抱くようになり、
土地や資源を可能な限り確保しようと、
お互いの「目先の豊かさ」に対する執着がぶつかり合います。
奪い合いと守り合いの衝突によって「敵対意識」が生まれるのです。
「敵対意識」も自他を分断視する『分離意識』です。
皆にとって生きるために必要となる土地や資源を、
それぞれが自分達だけのモノにしようとするので、当たり前のことなのです。
このように、自分と他人や資源との繋がりを無視したモノの扱い方『所有』が、
「自分のモノ」「他人のモノ」という境界や区切りを設けることとなり、
自他の繋がりを分離させる意識へと繋がっているのです。
このように、『所有』(体)することは『分離意識』(心)へと連動するのです。