また、この現代社会の土台の在り方が、
そのまま現代社会の愛の水準(レベル)を示します。
現代社会の在り方:低い水準の愛
・狭い範囲の愛
家族として認識される範囲が狭く、同時に
自然や動植物との繋がりが観えていないために、
与えることのできる愛の範囲も当然狭くなります。
「分離-交換-所有」社会は、
常に対価の源泉(土地・資源など)を奪い合う対立が生じます。
そもそも、交換条件を付けること自体が「愛」ではありません。
・不均衡(アンバランス)な愛
見返りを求め合う社会で在るため、
自分の持ち分、「目先の豊かさ」ばかりを強く意識します。
「全体の豊かさ」を犠牲にしてまでも「目先の豊かさ」に執着するため、
自分自身に与える愛と自分以外に与える愛の均衡(バランス)がとれません。
・枯渇していく愛
社会を回す経済が停滞・低迷することによって、
見返り・対価を得ることを優先するために、自らをも酷使する頻度が高まります。
そうなると、自他に与えられる愛も少なくなり、愛を与えられる範囲も狭くなっていきます。
他者との交流においてもある程度の資金(対価)が求められる社会であるため、
エネルギーや資金に余裕が無くなると、資金を得るために費やす時間の割合が増え、
人と交流する時間が少なくなります。
同時に、人を思いやることや助け合う「精神」、感謝の「場」と「機会」も減ってきます。
するとその人の中で「愛」の大きさは徐々に小さくなります。
これが現代社会の土台の「愛」の水準であり、
その水準は低く、それは今よりもさらに小さくなり易いものなのです。
一人ひとりの「愛」が枯渇していくことで、社会全体の「愛」も枯渇していくようになっていきます。