新文明創造プロジェクト

Q 共産主義とはどう違うのですか?

 

共産主義新文明社会の違いを、

共産主義が崩壊した原因と一緒に観ていきましょう。

 

 

 

・共産主義の生きる手段は『交換・取引』

 

共産主義が崩壊した原因については諸説ありますが、

主な崩壊原因は、やはり、

現代社会の在り方『分離意識』-『交換』-『所有』)が根付いたまま

平等分配制度を施行し、これを独裁政治によって行われていたことだと観ています。

 

共産主義国家においても、

人々は『交換・取引』という生き方をしており、

お互いに対価(おカネ)を求め合った生き方を行っていました。

 

そのため、対価が無ければモノやサービスを受けること、

生きることはできません。

 

そして、その対価を得る一般的な手段は、当然、仕事を行う事です。

 

 

 

・無視された人々の意志

 

共産主義下において、人々の仕事は、

政府による労働配置によって決定されていました。

 

人々の意志や得手不得手などは無視されており、

意図や能力が反映されないものだったのです。

 

そのためほとんどの人達は、仕事そのモノを楽しむことができず、

分配された富見返りとして得るためだけに仕事を行うこととなっていました。

つまり、仕事の動機づけが、専ら、損得勘定おカネを貰う事であったのです。

 

また、平等に「富(=おカネ)」分配される制度下では、

どれだけの仕事をしようと、得られる給与に変化はありません

 

そして、損得勘定が仕事の動機付けとなっているため、

人々の労働意欲は低下することとなりました。

どれだけ働いても得られる給与は同じだからです。

やりたくもないことをやって、得られる報酬が同じならやる気は湧きません。

 

当然ながら、

企業の経営努力も停滞し、技術革新も起こされず、生産性が落ち込みました。

 

そして、分配される富(おカネ)落ち込み

さらに次の生産や事業に投じる富が不足するという悪循環に陥ったのです。

 

 

 

・その他、共産主義崩壊事由

 

加えて、人はそれぞれ住んでいる環境や条件、

生活に必要とするモノなどが異なるため、生活に掛かる費用も千差万別です。

こうした点からも富の平等分配制度はうまく機能しなかったと言われています。

 

さらに、『交換・取引』の社会における、

私的所有権の否定は、生活基盤の不安定化を意味します。

人々から生きるための財産を没収する制度に他ならない事だからです。

 

また、独裁政治であったために、膨大な情報に対する処理が行えなかったことや、

国民が弾圧されていたことも崩壊の原因として挙げられています。

 

人々の人権は守られず、特権階級に富が集中するようになり、

多くの人達の生活が豊かにならず、国民の不満は募る一方だったのです。

 

 

 

・お互いの意志に基づく『無償提供の循環』

 

新文明社会での、人々が生きる手段は『無償提供の循環』です。

 

誰もがモノやサービスを受け取る時に対価を求められず、

無条件で生きられますが、これは「分配」が行われるからではありません。

 

自分のやりたいこと、好きなこと、得意なことを、

自分の与えたいという意志に基づいて、

自分のペースで、受け取りたい意志のある人に無償で与えること、

 

つまり、「需要と供給の一致」が行われ、それが社会で循環するからなのです。

 

一人ひとりが抱えているニーズが異なるからこそ、

「分配」ではなく、「需給の一致」によって満たされるのです。

 

また、生きるために必要以上のモノを持つ必要がなくなるので、

誰か特定の人々だけに権力が集中するような事がないことはおろか、

権力を持つこと自体無意味なものとなるのです。

それは自分自身を苦しめることに他ならないからです。

 

 

・仕事の概念の違い

 

共産主義の土台は、

現代社会の在り方(『分離意識』-『交換』-『所有』)です。

 

また、現代社会新文明社会では仕事の概念そのものが異なります。

 

現代社会の仕事の概念は、対価(おカネ)を稼ぐ事です。

生きるため、行動範囲を拡げるため、将来の不安を埋めるためには、対価が必要となります。

そのため、常に人々の意識は、「何がどれだけ得られるのか?」ということに偏っています。

多くの対価を得ることこそが生活の自由度を高めるモノだと信じているからです。

また、どんなに人々の需要を満たしていても、おカネにならなければそれは仕事ではなくなります。

 

新文明社会における仕事の概念は、「需要と供給の一致」です。

どんなに好きな事をしていても、需要の無いものであれば仕事にはなりませんが、

人々の真の欲求・需要に対して供給することはすべて仕事です。

 

 

 

・仕事の「動機付け」

 

仕事を行う「動機付け」もそれぞれ異なってきます。

 

現代社会における仕事とは、心のどこかに、

生きるため、おカネの為に「やらなければならない」という強いられたニュアンスが大きく占められています。

 

つまり、「~しなければならない」という自分自身の意志・本心から来るものではない動機なのです。

 

そのため、現代社会で仕事を行う際の主な「動機付け」となっているのが、

自分の意志ではなく、得られる対価(おカネ)損得勘定なのです。

 

 

新文明社会におけるそれは、

「やりたいことをやる」「助けたい人を助ける」「支えたい人を支える」というニュアンスです。

 

つまり、「~したい」という自分自身の意志・本心から来る動機なのです。

 

対価を得るために無理やり仕事をつくりだすことも不要で、

利益ノルマ借金返済などに追われることもなく、

専ら、人々の欲求・需要に対する、

自分の「与えたい」という意志に基づいて行われるのです。

 

そのため、誰もが余裕を持って仕事を楽しめるようになります。

 

さらに、現代社会のような、モノとおカネの相対的な価格変動によって、

人々の生活が揺り動かされるということが無く、

人の力と自然の恵みによって、誰もが自由に安心して生きられるようになります。

 

人には、受け取りたいという想いだけでなく、与えたいという想いがあります。

その想いの循環こそ、新文明社会の土台となっているのです。

 

新文明社会での、仕事を行う際の「動機付け」は、

やりたい、支えたい、与えたいという想い意志なのです。

 

 

社会の土台が変わることによって、仕事を行う「動機付け」も異なり、

そこで発揮されるパフォーマンスも大きく異なってくるのです。

 

 

 

・仕事に対するイメージの違い

 

突き詰めれば、これは、

人々が抱く仕事に対するイメージそのものが全く異なるという事でもあります。

 

現代社会での仕事のイメージは、

おカネの為に、どことなく嫌な、我慢して行う、つまらない、

辛い、自分の意志を尊重してもらえない、仕事に追われる、

経営者の独裁による支配的な権力を振りかざされる、

というような、重苦しいイメージなどが焼き付いているように思えます。

そして、常に成長を強いられ、物質的に豊かになるほど苦しくなる矛盾もはらんでいます。

 

需要を失い、仕事が必要とされなくなると困り、

わざわざ消費意欲を掻き立てるように仕向け、営業や広報を重ね、

顧客や利権を奪い合うという、

対価を得るためには必死に仕事をしなければならない現実があります。

 

この社会ではどんな仕事も、ほとんどが営利活動であるため、

利益を上げることノルマに追われることはもはや常識であり、

それが仕事に対して重苦しいイメージを連想させることにもつながっています。

 

 

新文明社会での仕事のイメージは、

楽しい、喜びを与える、やりたいことができる、好きな事で貢献できる、

互いを大切にし合う、助け合うという心軽やかなイメージです。

 

自分の仕事が必要とされなくなっても生活に困ることはありません。

そのため、無理に仕事をつくる必要もなく、仕事に追われることもないのです。

 

仕事は、本当に人を喜ばせるためだけのモノとなるため、

自ら進んで行いたくなるモノとなるのです。

 

移動も道具の準備なども無償で行え、

利権の対立や顧客の奪い合いが無意味となるので、

少々困難な需要や欲求や課題にぶつかっても、

常に皆で協力して解決することができるのです。

 

 

 

・最後に

 

また、『無償提供の循環』の社会であるからこそ、

『所有』というモノの扱い方を『共用』にシフトすることが可能となるのです。

 

そして、共産主義新文明社会では、社会の土台そのモノが違います。

だからこそ、仕事の価値観やイメージも全く異なってくるのです。

 

そして、どんな主義・体制をもってしても、

社会の土台が変わらなければ、同じです。

 

つまり、『分離意識』-『交換』-『所有』を土台とした社会であれば、

共産主義であれ、社会主義であれ、資本主義であれ、民主主義であれ、

対立戦争支配構造貧富の格差を常に招くことになるのです。

 

また、働く意欲は、「どれだけの対価を得られるか?」に左右し、

対価を得るための消費活動に依存しているため、

自然との共生が行えない、持続不可能な社会なのです。

 

 

新文明社会は、

『統合意識』-『無償提供の循環』-『共用』を土台とした社会なのです。

 

経済が消費活動に依存せず、真の需要と供給の一致によって循環し、

自然と共生が行える、持続可能な社会なのです。

 

何より、人々が自らの意志で進んで仕事を楽しむことができるという点が、

特に大きな相違点だとも言えるのかもしれません。

 

 

 

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