・良心の呵責に押し潰されている
現代社会は、『交換・取引』という手段で生きているため、
モノやサービスを受け取るために支払う対価(おカネ)が無ければ生きていくことができません。
そのため、生きるための対価を得るために多くの犠牲を生み出している現実があります。
交換社会では、交換の対価を得るために仕事を行います。
つまり、モノやサービスを売りこみ消費活動を行うのです。
このように、人々が生きることが消費活動に依存しているために、
自然を破壊してまでも、過剰であっても消費活動を行わなくてはなりません。
これまでも地球に対して多大なダメージを与えながらも、消費活動が促されてきました。
それが今、自分や家族を含め、すべての人達を苦しめることに繋がっているのです。
つまり、集団自殺をしているということなのです。
そうした現実に、加害者意識を抱え、罪悪感に苛まれる人達が沢山いるのです。
また、過酷な現実を前に、対価(おカネ)のために手段を選べなかった人達も大勢居ます。
人によっては、生きている事自体に罪の意識を抱えていることもあります。
自分や家族の偽りの豊かさが、他の犠牲の上に成り立っているからなのです。
さらには、罪悪感を抱えながらも、生きるため、家族を養うためなどに、
これまでと同じことを繰り返さざるを得ない現実で
良心の呵責に心が押し潰されて生きている人達も居るのです。
国家に対して支払っている税金が戦争の資金として使われていることも、
呵責を生んでいる典型例の一つです。
(※新文明社会ではどうなるの? ⇒ ⑤呵責からの解放 )