・仕事の目的が「おカネを稼ぐこと」
現代社会は、『交換・取引』を生きる手段としているため、
他人からモノやサービスを受け取る際には、
提供者が要求する分の対価(おカネ)を用意し、支払わなければなりません。
既にこの地球では、ほとんどのモノが商品化され、価格(値段)が付けられているため、
支払う対価(おカネ)がなければ、ただ生きることさえも満足に行えません。
そこで人々は、生きるため、モノやサービスを受け取るために対価を集めようとします。
対価(おカネ)を稼ぐ一般的な方法は、
自分が提供するモノやサービスを他人に必要としてもらうことです。
そして、モノやサービスを与える際に相手に対価を要求し、これを受け取るのです。
これが現代社会に至るまで、「仕事」として幅広く認知されてきました。
生きていくためには対価(おカネ)を稼ぐ事が必要となるため、
人々の仕事をする目的そのものが「おカネを稼ぐこと」となっているケースが少なくありません。
対価(おカネ)の為に、やりたくない仕事であっても、無理をしてでも、
自分の意志を押し殺し、延々とその稼業を営み続けている人達が多く存在しています。
・仕事が無くなることは死活問題
そして、当然ながら、
提供するモノやサービスを必要としてもらえないことは、死活問題につながります。
生きるための対価が得られなくなるからです。
この社会では、対価を得る手段の喪失、
つまり、仕事の喪失は困ることなのです。
そのため、
仕事ができなくなること、
提供するモノやサービスの需要が無くなること、
世の中に便利なモノが台頭することにより自分の仕事が不要となること
設備の充実化に伴い提供労力が不要となることなどを喜ぶことができないのです。
・仕事や需要をつくることで生存を維持
だからこそ、
仕事が無くなれば無理にでも新たな仕事をつくりだし、
需要が無くなればまた新たな需要をつくりだすのです。
そうすることで必死に対価(おカネ)を得る機会=生存を維持しようとしているのです。
・まとめ
このようにして、私たちは対価(おカネ)のために、
労働が不要となる事、便利になる事を喜べないという矛盾の中で生き、
わざわざ自分で自分たちを忙殺させているのです。
従業員に課されているノルマもその典型例の一つです。
(※新文明社会ではどうなの? ⇒ ②仕事が無くても困らない )